別居で介護

旦那様の両親の介護を卒業した途端、実家の父の介護がスタート。

同居で介護


 そんな訳で再婚と同時に始まった介護生活。


 義父さんは90歳半ばで、
 年相応の物忘れはありましたけど
 気遣いの細やかな社交家でした。


 足が弱ってしまいベッドでの生活
 でしたけど、同居を始めた頃はまだ
 トイレにはひとりで行けていました。


 以前からヘルパーさんに入浴補助を
 お願いしていたそうですが、
 ヘルパーさんとのお喋りが
 何よりの楽しみだったみたいです。


 義母さんは90歳を少し過ぎて
 認知が進み、同居の少し前に
 特養の本入所が決まりました。


 週末、会いに行くのですが
 旦那さんの事もすぐには思い出せず
 大好きなプリンとジュースを
 食べながら、あら?息子?と微笑む
 感じでした。


 半年くらい通ううちに、名前は
 覚えてもらえなかったけど
 息子の嫁?と覚えてもらえました(笑)


 それから更に半年が過ぎたある日
 施設から旦那さんに電話がありました。


 お昼寝中のお母様が
 呼吸をされていません。
 救急車を呼びますか?
 救急車をよぶということは
 延命治療する事になります。


 ひと月程前から
 食事量は変わらないけれど
 吸収が悪く栄養状態が良くない。
 腎臓の機能が極端に落ちている。
 と、先生からの話があり
 薬やハイカロリー食品などで
 様子見をし落ち着いたばかりで。


 今後について先生から話がある
 との事でので、近々施設に行く
 予定をしていた矢先でした。


 旦那さんにも私にも、多少
 覚悟はありましたけど
 すでに息がないという状況に
 言葉を失いました。


 呼吸が止まってから、どのくらいの
 時間が経っているのかも分からないし、
 延命治療で肋骨が折れて
 苦しい思いをさせるのも。。。と


 施設の医師に死亡診断をお願いしました。



 いつも、プリンを食べた後の
 冷たいその手をとって
 私の両手にはさんて温めると


 あったかいねぇ。。。


 と、静かに微笑んでいた義母さん。


 介護らしいことは
 何もしてあげられなかったけど
 親孝行はそれなりに
 できたんじゃないかと思います。


 最後の面会の時、珍しく
 車椅子から立ち上がろうと腰を上げ
 息子の名前を呼んで手を振ったのは
 何か予感ががあったのかな。。。と
 思ったりもしています。